生きていたくないと思っている人は、どう生きるかをまず決めよう
- 前向きに生きる必要は無い
生きていたくないと思っている人は、どう生きるかをまず決めましょう。
わたしたちは生きていることしかできないからです。
とはいっても、自分は生きていくのだと前向きに気持ちを切り替える必要はありません。
できなくて当然ではないでしょうか。
生きていたくないと思ったまま、どう生きるかを決めてみましょう。
わたしは「文句を言いながら生きる」と決めました。
そうです。前向きに生きるだとか、粘り強く生きるだとか、頑張って生きるだとか、ポジティブに生きていくと決める必要はどこにも無いのです。
公共料金の支払をしなければいけない。
ネットでなにかのサービスを利用するために、よくわからない登録をしなければいけない。
なにかを調べなければいけない。
余計なメルマガに登録されてしまったので、解約しなければいけない。
なにかをするにも、なにかをしないで済ませるにも、結局はしなければならないことばかりである。
文句のひとつやふたつでも言わなければ、とてもじゃないがやってられないとわたしは思いました。
だから本当は生きていたくない。
それでも生きてしまう。生きているのをやめることはできない。
生きていることしかできないのです。
- わたしたちは生きていることしかできない
パソコンの電源を切るように、スイッチひとつで人生の電源を切ることはできません。
もしそんなスイッチがあったら、そのスイッチを押したいと思います。
やりたくもないスポーツの試合をやらされているように感じる。
負けてもいい。勝ちたくない。
勝ちとか負けとかどっちでもいいから、とにかく終わりにしたい。
でも、もし人生の電源を切るスイッチがあったとして、
自分は押すことができるでしょうか?
押せません。
きっと怖くて押すことができないだろうなとわたしは思います。
時々、死ぬ勇気があれば生きていけるという意見を聞くことがあります。
失礼な言い方になりますが、
なんて無責任な意見なんだ。とわたしは感じています。
わたしのように死ぬ勇気がない人間は、
生きていけないのでしょうか?
生きていてはいけないのでしょうか?
でも、何故かわたしは今まで生きてきましたし、今も生きています。
これが、生きてしまうということ。
生きているのをやめることはできないということ。
わたしたちは生きていることしかできないのです。
- 生きていたくないという気持ちを認めたまま、どう生きるかを決める
だから大事なのは、生きていることしかできないと受け入れたうえで、どう生きるかを決めること。
そして、生きていたくないという自分の気持ちを認めたうえで、どう生きるかを決めましょう。
「人生をやめたいと思って生きる」でもいいと思います。
いつか終わりがくる。その気持ちが支えになることは今のわたしにもあります。
生きていたくない。人生をやめたい。と思っているのに、いきなり気持ちを生きる方に切り替えるなんてできなくて当然ではないでしょうか。
だからこそ、
生きていたくないと思っている人は、生きていることしかできないと受け入れたうえで、どう生きるかを決めるしかないのです。
文:ギャラクシー
しなければならないことに追われたときに試してほしいこと
Brain with SoulのWEBサイトで連載していたわたしの記事が、
前回の更新をもって最終回となりました。
もう少し続けるつもりもありましたが、限界を迎えました。
次回になる予定だった原稿を、連載を続けるつもりで提出したのですが、ボツになりました。
その原稿をここに載せます。
タイトルは、「しなければならないことに追われたときに試してほしいこと」です。
しなければならないことに追われたときに試してほしいこと
●「もうやらない!」と思いながら、やる
あれもこれもしなければならない。
「しなければならない」ことに追いつめられてしまうこと、ありますよね。
そんなときに試してほしいことがあります。
「もうやらない!」と叫んでみてほしいのです。
たとえそれが、必ずしなければならないことだったとしてもです。
しなければならないかどうかは関係ない。「もうやらない!」と思いながら、やる。
心の中で言ってもいいし、声を出せるなら出してもいい。
わたしは心の中で言うことが多いです。
「もうやらない!」と言葉にして、一旦冷静になってみましょう。
本当はやらなくてもいいかもしれない。
後回しにできるかもしれない。
今しなければいけないとしても、
少しゆっくりにしたり、上手に手を抜いたりできるかもしれない。
「もうやらない!」と言葉にすることで、目の前に積み上げられた「しなければならない」ことから心が離れることが出来ます。
そうすれば、結局はしなければいけないことだとしても、
「しなければいけない!」という気持ちに監視されながらするのと比べて心の自由度は段違いのはずです。
●耐え続けても報われるとは限らない
わたしも最近「しなければならない」ことが重なって追いつめられることがありました。
サポートが終了するので、スマホの機種変更をしなければならない。
まったくもって理不尽な話です。
そのやり方を調べなければならないのですが、調べるのが嫌過ぎて嫌過ぎてサボっていたら、気づいたら朝になっていたこともあります。
そんなときに限って、仕事で調べ物をしなければならなくなりました。
しかも、もともと調べ物をすることが予測できたわけではなく、
既に終わったはずの仕事であったにもかかわらず、後になってから調べ物をしなければならないという作業が追加された形です。
「怒りは娯楽」
「怒りが一番マシ」
「怒りも自分の一部」
「自分は生きていてもいい」
と唱え続けなければ、とうてい耐えられないものでした。
※参考
「生きづらい人が自分の基準をもつとはどういうことか?」
「イライラが止まらなくて何も考えられないときの対処法」
「なぜ自分は生きていてもいいと思えるようになったのか?」
だから、「もうやらない!」と、後回しにしました。
この時のイライラのピークを耐え続けることができたのは、いつか終わりがくるという気持ちが支えになっていたからでした。
というのも、この数週間後にわたしは公的な料金の支払いを控えていました。
そしてその支払いは、口座から支払われるため、支払いの日は自分の仕事を終えたら、何もせずに家に帰るだけでいいはずだったのです。
その支払いが終われば、しなければならないことの数々にいったん区切りがついて、ほんのひと時、一息つくことができるはずでした。
でもその希望がかなうことはありませんでした。
うまく口座から支払われずに、銀行で振り込まなければならないという「しなければならない」が追加されてしまったのです。
つらい時期を耐え続けたのに、一息つくこともできず、心がズタズタに折れてしまいました。
生きづらい人生では、耐え続けるしかない時期があります。
しかも、耐え続けたにもかかわらず報われないときもあります。
(つらい時期を耐え続けたにもかかわらず報われなかったエピソードはこちらでも紹介しています。「成功を手にして復讐を果たそうとした」)
●「もうやらない!」という選択肢をもつことで心を保つ
心がズタズタに折れて、すっかり力尽きてしまったわたしは、
こんなに自分の行動にケチがつきまくるんだったら、カタルシスライターなんてもうやめようか。
環境を変えて仕切りなおそうか。
一度はそう決意しました。
実際には、わたしは今もライターを続けています。やめるという選択をしたわけではありません。
しかし、「もうやらない!」「もうやめようか」という選択肢をもつことで、心を保つことができ、
「しなければならない」ことに追われる日々を生き延びてきました。
そうこうしているうちに、この文章を完成しなければならない締め切りの日がやってきました。
わたしは心の中でこう思いました。
「もうやらない!」と。
マインドコントロールされていた
相手に依存しないためには精神的自立が必要
Brain with SoulのWEBサイトで、
わたしの生きづらさ体験談の第6回が公開されました。
異性にモラルハラスメント行為をしていたことについて書かれています。
加害者であったことに何年も苦しみました。
前回の内容とあわせてお読みになるとより理解が深まると思います。
前回はこちら