悔いのないように生きたい人が読むブログ

生きづらい人、アダルトチルドレン、モラハラ被害者・加害者のために。あなたは生きていてもいい

しなければならないことに追われたときに試してほしいこと

Brain with SoulのWEBサイトで連載していたわたしの記事が、

 

前回の更新をもって最終回となりました。

 

brain-soul.com

 

もう少し続けるつもりもありましたが、限界を迎えました。

 

次回になる予定だった原稿を、連載を続けるつもりで提出したのですが、ボツになりました。

 

その原稿をここに載せます。

 

タイトルは、「しなければならないことに追われたときに試してほしいこと」です。

 

しなければならないことに追われたときに試してほしいこと

 

●「もうやらない!」と思いながら、やる

 

あれもこれもしなければならない。

 

「しなければならない」ことに追いつめられてしまうこと、ありますよね。

 

そんなときに試してほしいことがあります。

 

「もうやらない!」と叫んでみてほしいのです。

 

たとえそれが、必ずしなければならないことだったとしてもです。

 

しなければならないかどうかは関係ない。「もうやらない!」と思いながら、やる。

 

心の中で言ってもいいし、声を出せるなら出してもいい。

 

わたしは心の中で言うことが多いです。

 

「もうやらない!」と言葉にして、一旦冷静になってみましょう。

 

本当はやらなくてもいいかもしれない。

 

後回しにできるかもしれない。

 

今しなければいけないとしても、

 

少しゆっくりにしたり、上手に手を抜いたりできるかもしれない。

 

「もうやらない!」と言葉にすることで、目の前に積み上げられた「しなければならない」ことから心が離れることが出来ます。

 

そうすれば、結局はしなければいけないことだとしても、

 

「しなければいけない!」という気持ちに監視されながらするのと比べて心の自由度は段違いのはずです。

 

●耐え続けても報われるとは限らない

 

わたしも最近「しなければならない」ことが重なって追いつめられることがありました。

 

サポートが終了するので、スマホの機種変更をしなければならない。

 

まったくもって理不尽な話です。

 

そのやり方を調べなければならないのですが、調べるのが嫌過ぎて嫌過ぎてサボっていたら、気づいたら朝になっていたこともあります。

 

そんなときに限って、仕事で調べ物をしなければならなくなりました。

 

しかも、もともと調べ物をすることが予測できたわけではなく、

 

既に終わったはずの仕事であったにもかかわらず、後になってから調べ物をしなければならないという作業が追加された形です。

 

「怒りは娯楽」

「怒りが一番マシ」

「怒りも自分の一部」

「自分は生きていてもいい」

と唱え続けなければ、とうてい耐えられないものでした。

※参考

「生きづらい人が自分の基準をもつとはどういうことか?」

「イライラが止まらなくて何も考えられないときの対処法」

「なぜ自分は生きていてもいいと思えるようになったのか?」

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だから、「もうやらない!」と、後回しにしました。

 

この時のイライラのピークを耐え続けることができたのは、いつか終わりがくるという気持ちが支えになっていたからでした。

 

というのも、この数週間後にわたしは公的な料金の支払いを控えていました。

 

そしてその支払いは、口座から支払われるため、支払いの日は自分の仕事を終えたら、何もせずに家に帰るだけでいいはずだったのです。

 

その支払いが終われば、しなければならないことの数々にいったん区切りがついて、ほんのひと時、一息つくことができるはずでした。

 

でもその希望がかなうことはありませんでした。

 

うまく口座から支払われずに、銀行で振り込まなければならないという「しなければならない」が追加されてしまったのです。

 

つらい時期を耐え続けたのに、一息つくこともできず、心がズタズタに折れてしまいました。

 

生きづらい人生では、耐え続けるしかない時期があります。

 

しかも、耐え続けたにもかかわらず報われないときもあります。

 

(つらい時期を耐え続けたにもかかわらず報われなかったエピソードはこちらでも紹介しています。「成功を手にして復讐を果たそうとした」)

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●「もうやらない!」という選択肢をもつことで心を保つ

 

心がズタズタに折れて、すっかり力尽きてしまったわたしは、

 

こんなに自分の行動にケチがつきまくるんだったら、カタルシスライターなんてもうやめようか。

 

環境を変えて仕切りなおそうか。

 

一度はそう決意しました。

 

実際には、わたしは今もライターを続けています。やめるという選択をしたわけではありません。

 

しかし、「もうやらない!」「もうやめようか」という選択肢をもつことで、心を保つことができ、

 

「しなければならない」ことに追われる日々を生き延びてきました。

 

そうこうしているうちに、この文章を完成しなければならない締め切りの日がやってきました。

 

わたしは心の中でこう思いました。

 

「もうやらない!」と。